千歳烏山|浜岡歯科クリニック・予防歯科センター|最適な医療環境で、最新の治療システムと予防システムをご提供いたします

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【出生・幼少期】
昭和31年10月、場所は川崎の武蔵小杉というところで生まれました。
出生地の武蔵小杉は、現在では高層ビルが立ち並びとてもひらけた町ですが、昭和30年代は下町情緒のあるのんびりした田舎町でした。

この地では5歳まで過ごし、友達と泥団子(直径8~10センチ程度の泥玉をつくりお互いの硬さを競う遊び)、秘密基地あそびなど暗くなるまで毎日遊んでいました。

その後、小学校の入学式に合わせて東京都大田区の久が原へ引っ越しましたが、慣れない地での通学が心配で仕方なかった事が今でも思い出されます。

そんな中、入学から2か月目に友達と大事件『つばめ事件』を起こしてしまいます。

友達と下校時に、ふと見ると軒下につばめの巣があり、親鳥が子つばめに餌をやっていました。
 

とても可愛かったので『友達とお家で飼いたいね。』との話になり、子つばめを巣から取って連れ帰ったのです。

後日、そのことが全校中に知れ渡り、校長室に呼び出されて友達と二人で叱られ、こどもながらに世の中には色々ルールがあることを学びました 。

幼少期は、そんな動物好きな面と小さな機械(時計、カメラ等々)があるとすぐに分解したがる細かいものが大好きなこどもでした。
 
【学生時代】
そんな子供が、中学にはいると些細なことから大きな転換期を迎えます。

自宅の隣に、とても英語のできる大学生の方が居て、中学1年の時に英語を教えてもらうこととなりました。

勉強の内容は、いつも『教科書のマル暗記!』であまり面白くは無いのですが、そのおかげで英語の試験は毎回満点を取ることができました。

そんなある日、その大学生の方が珍しいものを私にくれたのです。

そのくれたものとは、『石膏模型』。それも人の歯の石膏模型です。

『なんと変わった模型でしょうか?』 興味津々で見たことを今でも思い出します。

あとで解ったことですが、その大学生の方は医学部を目指していて、友達には医学部生、歯学部生が多くその友達からもらったものを私に譲ってくれたようでした。

その模型を、勉強机の上において眺めていると、動物が好き、細かいものが好き、そしてなんといっても人に喜んでもらうのが好き。

ということは歯医者さんの仕事は自分にピッタリじゃないの?
と自分の中で歯科医師を意識した瞬間でした。


その後、大学は埼玉の坂戸にある城西歯科大学(現明海大学)に現役入学し、大田区から毎日片道2時間30分かけて通学しました。

往復5時間は長かったのですが、渋谷・新宿・池袋と刺激的な繁華街が多かったので、週末には悪友と楽しい日々を過ごしました。

そして6年後、無事に卒業し歯科医師国家試験に合格しました。
 
【医局時代】
卒後は、大学時代の遠方通学の苦しみから解放されたいと近隣の昭和大学歯学部補綴科に在籍し、研究・教育・治療と同期の医局員が診療後に銀座、新宿と繁華街へ出かけるのを尻目に毎日遅くまで頑張りました。

その甲斐あって、同期では真っ先に補綴科の助手にさせていただきました。感謝です!

また、学生教育に関してもかなり熱心に?に行いました。

『?』の意味をお話ししますと、実は私の家内はその時の教え子です。当時は、教授、講師はじめ他多くの先生方よりこれは『業務上の横領の当たるんじゃないの?』とからかわれた事が思い出されます。

そんな家内とも結婚してすでに25年が過ぎ、大きな喧嘩等も無く過ごしているということは、それなりに相性は良かったのだと思います。

なんといっても、お互いに好きなことをしているのであまり喧嘩にならないのかもしれません。

ここで家内の話を少ししますと、先ほどお話ししたように家内も歯科医師ではありますが、現在は別の仕事を中心に活動しています。それも全く畑違いの仕事を・・・・。

想像できないと思いますが、目黒区で社交ダンスの教室を運営しています。

JBDF(社団法人日本ボールルームダンス連盟)の教師資格まで取って完全にはまってしまっています。ダンスのためならと毎日ストレッチやスポーツジムとムキムキに体を鍛えています。

私自身は、スポーツクラブ通いが中々続かず中断していますので、口には出しませんが心の中では尊敬しています。

それでは、家内の話はここまでにして開業前後のお話をいたしましょう。
【歯科医院開業】
医局時代は、先ほども書きましたが教授以下の先生方にとても可愛がって頂き、年数が立つほどに後輩もでき居心地は最高でした。

また、居心地が良かった故に在籍4年目には、このまま大学に残り続けるか?
開業するか?の選択をする時期と感じました。

そんな中、教授にそろそろ開業医で歯科医院経営の勉強をしたい旨お話しをしたところ、『開業医に勤めるのなら大学に居なさい!』但し、直ぐに開業するなら認めるよ!』と思いがけない選択肢を与えられてしまいました。

最終的には『開業しても濱岡君なら大丈夫だよ。』と肩を押され、不安は大きかったものの開業の決断をいたしました。弱冠28歳の時でした。

開業場所として、なぜ千歳烏山の地を選んだのか?ですが、開業当時(1986年)から目の前の甲州街道は交通量が多かったのですが、周辺はまだ緑や空地も多く、小さな個人商店もあり子供時代の風景とも重なり親近感を持っていたのかもしれません。

しかし、現在の千歳烏山は武蔵小杉と同じように目の前には高層マンションが建ち、人の流れもかなり多く活気のある町となりました。

開業後は、お陰様で数多くの患者さんにご来院頂き、2年後には私一人では拝見できなくなり代診の先生に来ていただくまでになりました。

この頃は、夜9時近くまで診療をしていましたので、週に2~3日は烏山のサウナでお風呂に入り医院のソファーで泊る様な日々を過ごしました。

それでも、まだ若かった事もありあまり苦に感じた覚えはありません。若さとは素晴らしい事です。

その後も昭和大学補綴科には現在に至るまで数多くのことを学ばせて頂き、現在は厚生労働省認可の卒後研修機関にもなっております。
 
【趣味】
先ほどは、家内の趣味(家内は仕事と申しますが・・・。)のお話をいたしましたので、今度は私の趣味についてお話いたしましょう。

学生時代から美術が好きだった事もあり、開業してからは、ずっと絵画の収集をしていました。

あまり高価な絵画を買うわけではありませんが、年に数回オークションに参加して油絵を中心にコレクションし、現在でも院内には常に10点ほど飾っています。

しかし、最近はもう少し安価で手軽な美術画集や資料の収集が多くなり、すでに数千冊規模になってしまいました。『塵も積もれば山』という状態です。

【現在の思い】
最後に、現在私の考えている事についてお話したいと思います。

現在の私の役割は、下記の4つの輪バランスをとり、尚一層地域に貢献できる医院にする事だと感じています。
 
☆4つの輪☆
1.患者さん個々にベストの処置を!
 
 
自分、家族、両親がこの状態の時は何をするか?
またはしてもらいたいか?
最後には、ここへ戻って考えることを信条としています。
治療には、幾つもの選択肢があり患者さんの状況によっても変化しますので、一緒にベストな方法を考えましょう。
 
2.スタッフへの思い
『浜岡歯科クリニックへ勤務して、良かった。』と感じられる環境や診療への思いを伝えられたら・・。と常に思っています。
 
3.最高の医院環境
患者さんへ清潔で、最高の技術、機器で診療を受けて頂ける環境をつくるため日夜努力しています。
 
4.関連業者の方との和
浜岡歯科クリニックに関連頂いている各業者の方々との和を大事にて、常に感謝し共に発展できる努力をしています。
 
 
そして、最後に長いプロフィールを最後までお読みいただいた方々へ感謝申し上げます。

歯のこと、歯科予防のこと、矯正、インプラントのことなどお聞きになりたいことがありましたら、当院では、トリートメントコーディネーターが常在していますので、気楽にお声をおかけください。

勿論、私へ直接のご相談、ご質問等もいつでもお受けいたします。
 
医療法人社団恵正会 浜岡歯科クリニック
院長 濱岡正憲